☆カンボジアのポルポトせいけん☆
ポルポト時代の1975年から1979年までです♪
ポルポト時代の3年8ヶ月20日はカンボジアの歴史の中でました。
ポルポトの時代のカンボジアはがべのないけいむしょだといわれています♪
じつは私たちの親戚もポルポト時代の中にこされていました☆
ポルポト時代に肉親をうしなわなかったカンボジア人は恐らくどこにもいないでしょう、そんなおそろしい時代にうまれなくて、私は本当によかったとおもいます。ポルポト政権ではのうぎょうちゅうしんのやりかたでせいじがおこなわれました。
プノンペンは(首都)は人々がいない町になります。個人財産をもつことや、せいじきょういくいがいのがっこうきょういくはきんしされました、いちばやつうかはなくなりました。しゅうきょうかつどうもきんしされて、多くのおてらがこわされました♪
家族は一緒にすめなくて、みなバラバラにさせられています、サハコーと言うじんみんこうしゃでしゅうだんせいかつをさせられてました。中国人やベトナム人などの外国人はろうじんも子供たちもみなごろしでした。 いしゃやきょうしゃげいのじんなどのちしきのある人はきょうさんしゅぎのせいじのやりかたのじゃまになるので、きびしいごうもんをうけて、しょけいされました。
がっこうやびょういんなどの建物はひりょうおきやじゅうだんそうこやけいむしょとしてつかわれました☆☆☆☆☆
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